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暖炉に火をくべて

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音楽、家族のことなどを、時々。

祝☆復帰 星野源 THE SONGWRITERS (後編)

後半です。

元春「老人をテーマにした曲が多いですよね」
源ちゃんはラブソングを書くとき、自分のこととか同い年の人のこととして歌うとコッパズカシイが、老人をテーマにすると自分と距離が出来るから恥ずかしくなく、するっと言葉が出てくるのだそうだ。
元春は「老人をテーマにすることによって、日常の中にはぐくまれてきた愛に言及することが出来る、それは物語にしやすい」。
源ちゃんが物語性のある詩を書く理由は、物語を紡いでいく中で、聴く人が登場人物に自分を投影したり感情移入したりしてその人の歌になってくれるからだと。
しかし、ここで源ちゃんは面白いことを言う。

「共感してほしくはないんですよ」

その人の歌になってくれるから物語性のある詩を書くといいながら、共感してほしくないとはどういうことか。
元春も「ちょっと待って」と確認。

源ちゃん「共感は、同じことを思っているとか経験しているとかいう人だけがすること。でも若い人が老夫婦の歌を聴いたとき、自分はまだ(老夫婦という生活を)経験していないわけだから、自分をその中に投影はするけれど共感はしていない。でもそこには、共感よりもっといいものがあるのではと思う。
人間はひとりひとりバラバラなものだから、それを共感というもので繋いでしまうともったいない。それぞれが個立して自分というものを持ったまま一緒にいるということはできないものかなぁと。」

つまり「わかるわぁ~」という安易な同調はいらない、っていうことなのかな。

元春は真剣に聞き入って「今星野さんはとても大事なことをおっしゃいましたね」と言った。
「たとえば震災後、多くのソングライターズたちが書いた曲があって、『希望』『絆』と言った言葉が街にあふれた。僕は多少違和感を覚えた。共感を求めるあまり、何か作者の自意識のようなものがオーバーに出されたのではないか。
歌というのは、共感をとりつけるものではなく、もう少し聴き手の想像力を信じて、鷹揚に構えてみようというものなのではないか、と、今星野さんの話を聞いてハッと気づきました。」

この件では、私も、震災後の幼稚な話し言葉の羅列だけの頑張れソングの横行と絆絆という風潮、歌に辟易していたので、元春の言うことには「そうそう!」と頷いてしまった。
それにしても、まだわからない。共感よりもっといいものって、何だ?

定型質問のあと、楽曲【ばらばら】
の歌詞の中の「あの世界とこの世界 重なりあったところに たったひとつのものがあるんだ」という部分にスポットを当てて、さらに探っていく。

源ちゃん「例えば赤い色と青い色があって、このふたつは決してひとつには成れないけど、重なった時にひとつの色ができる。それはどちらかが形を変えているのではなくて、ただ重なっているだけなんだ。これは人間関係にも言えて、『君と僕はひとつさ』なんていうのは嘘つき!でも『君と僕はふたつさ』と言われると『そうだな』と。それぞれが個立して自分というものを持っていて、ふたつのものが自然に重なった時に何かすごく大事なものが生まれるんじゃないかと。」

なるほど。
ふたつのものがひとつになってしまったのでは、想像にリミットが生じるように思う。できることも限られてしまう。
でも、ふたつのものは、あくまでもひとつとひとつ、そしてそれらが重なる時、想像が広がり、新たな何かを創造できる可能性が大きく広がるのではないか。
そういうことかな。




Part 1、ここでおわり。


結局「共感よりもっといいもの」って、何なんだろう。
「それぞれが個立して」「自分というものを持って」「ひとつになるのではなく、重なることで生まれるたったひとつの大事なもの」。

ずーっと考えていたんだけれど、私なりの「共感よりもっといいもの」は・・・ぼんやりと、「普遍」なのかなと。
自分は経験していないけど、何だか自分のことのように思ってしまう物語。
それが、おそらく「普遍的な歌」ということになのだろうと思う。

「普遍的な歌」は、感動的だ。
物語の登場人物とひとつになるのではなく、登場人物に自分を重ね合わせて、想像の中で誰にでもあてはまる内容になっていく。だからこそ、より心に響くのだと思う。


星野源ちゃん、これからもずっと、見守って(?)いきたいアーティストです。
今年は日村のバースデーソング歌いに来てくれるかなぁ。
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by caorena | 2016-12-07 10:07 | 音楽 | Comments(0)