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暖炉に火をくべて

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音楽、家族のことなどを、時々。

佐野元春&THE COYOTE BAND[Zooey] 『詩人の恋』

初めて聴いたときに、美しい歌詞と曲に感動したけれど、どうしても再び聴くことができなかった。
その感動は、嬉しいと言うよりも、苦しくて悲しくて、心が強く揺さぶられて、どうしても涙があふれてきてしまうというものだった。
この文章を書くために意を決して何度か聴いたけれど、だめ。つまり、泣きながら書いている。

すぐに頭に浮かんだのは、ジョン・レノンの『Grow Old With Me』。
しかし、歌詞の内容が示すところは、全く違った。

『Grow Old With Me』
Grow old along with me 共に歳を重ねていこう
The best is yet to be 一番良い時はまだこれからだ
When the time has come その時が来たら
We will be as one ぼくらはきっとひとつになれる

この曲は、二人の未来を唄っている。だから、ジョンの死後に発表されたこともあって、余計に詞が心に沁みた。

元春の『詩人の恋』は、曲の感じがジョンのそれに似ているなとは思ったけれど、元春の唄い方、声の様子が、二人の未来を唄ったものではない…そんな気がしたのだ。

最初は、目の前にいる愛する人への告白のようだと思った。
でも、何かが違う。
未来を共に歩む、というのとは、どこか違うのだ。

最後まで聴いて、確信した。
この曲は、そう遠くない未来に別れがやってくることがわかっている、それを踏まえた上での愛の歌だ。
亡き恋人への愛の歌、恋人を亡くした自分自身への鎮魂歌だ。

歌詞を細かく分析するのは無粋かもしれないが、どうしても記しておきたい。

「君と過ごしてる日々
 あとどれくらい
 一緒にいられるかなんて
 だれにもわからない
 きまぐれな運命
 二人を分かつその日まで
 私たちはずっと共にいる」

「僕ら」「僕たち」「俺達」ではなく、「私たち」という表現は、元春の数ある曲の中でも初めて使われる人称ではないだろうか。
この「私たち」という表現が、この曲全体の雰囲気を作り出している。
二人で過ごす時間、二人で過ごした時間を、大切に大切に、慈しむ。

「小さく開いた 
窓辺にそよぐ風
身体を包む
木漏れ日優しく
ハルナツアキフユ
風は光になって
私たちはずっと共にいる」

穏やかな情景。
窓から差し込む、優しい陽の光と優しくそよぐ風。
だが、目に浮かんだのは、窓際のベッドに横たわる彼女と、そこに寄り添っている彼の姿だ。

「君の身体に
 冷たい影が差すなら
 光を集めるために
 俺は何でもするだろう
 ハルナツアキフユ
 風は光になって
 私たちはずっと共にいる」

彼女の身体に何か良くないことが起きている。彼がそれを何とかして追い払おうとする。
「どこか居心地のいい居場所を作って
君といつかこの世界を変えてみたい」、と。

「赤ん坊のように
 君は世界を抱いて
 哀しみはいつか
 安らぎににじんでく」
 
彼が作ろうとした居心地のいい場所にとどまることの無いまま、永遠の眠りについた彼女・・・息をひきとるときの彼女の様子が手に取る様にわかる表現だ。私自身、祖母を看取った時のことを思い出す。
果てしなく続くかと思われた哀しみも、時間とともに思い出に包まれて安らぎになってゆく。

「眠りなれた
このベッドをたたんで
明日の旅の支度を
旅の支度をする時が来た」

「明日の旅の支度」とは、彼女がこの世を旅立つための支度のことを指しているのだろうか。

「かたくなな空を蹴って
 さよならと席を立って
革命は静かに始まっているよ」

生きている彼が、彼女と過ごした時間や思い出と、悲しみに沈むばかりだった季節に別れを告げて、新たな日々を生きて行く決意。
「革命」という言葉が、際立っている。心の強さを現わしている。
静かに、すっと、立ち上がる。

「残酷な運命
二人を分かつその日まで
私たちはずっと共にいる」

別れを告げたけれど、それは永遠の別れではない。
新たな日々、それは、今までとは違うかたちでだけれど、ふたり共にいる日々。
二人を分かつその日とは、彼自身が亡くなる日のことを指すのではないだろうか。




呟くように、かすれた声で、悲しげに、しかし力強く、唄う元春。
こんなにも胸が押しつぶされそうな曲に出会ったのは、初めてだ。
聴くたびに苦しくなる。
どうしても、どうしても、泣いてしまうのだ。
辛い。ずっと、まともに聴けなかった。

恋人どうしの愛の歌、そう書いてきた。
だが、実は、初めてこの曲を聴いたとき、私が思い浮かべたのは、ホスピスで過ごす元春のお母様と、お母様に寄り添う元春の姿。そして、妹の死を悼み、潰れそうになっている元春の姿だった。
元春のことを想うと同時に、まだ子どもが小さいうちにご主人を亡くされた昔の同僚や、障害があるために幼くして、若くして亡くなっていった長男の何人もの友人たち、不慮の事故で命を落としたクラスメイト、自ら命を絶った友人、亡くなった親族・・・たくさんの顔が浮かんできた。

曲は最後に、「私たちはずっと共にいる」を2回リフレインする。
しかし、歌詞カードをみると、リフレインは3回になっている。
これが何か特別な意味を示しているのかどうかはわからない。
けれど、ここまで書いてきて、ふと思った。
最後のリフレインは、元春がそうだったように、心のバンドエイドをはがせないままにいる人に向けて、元春が手渡してくれた言葉なのではないか。
自分自身の言葉として、唄うために。

生きている私は、亡くなっていった人たちと共に在る。
そう自覚できた時、初めて彼ら・彼女らの死を受容できるのかもしれない。



最後に。
タイトルに『愛』ではなく『恋』をつかったところが、元春のイノセンス。
元春らしい言葉の選び方だな。
そう思った。
by caorena | 2013-04-10 09:39 | 音楽