佐野元春&THE COYOTE BAND [BLOOD MOON] レビュー3
アナログを先に聞いたので、CDを聴いた時、”新世界の夜”が終わって一息つけないのがひどく残念に感じた。
“私の太陽”の出だしは、B面に返して、針を落として、という一呼吸の後に始まると全く違って聞こえる。
だけどここからの”いつかの君へ”~”誰かの神”の転がり具合はとても好き。もしかして、曲間が短くないか?感覚的にそう思った。
【私の太陽】
B面一曲目にふさわしいイントロ。初めて聴いた時「これはアカンやろ!」となぜか関西弁で叫んでしまった(笑)
圭くんのベースが冴え過ぎ。コマツのドラムも。
リズム隊の二人が刻む、体の芯に響くビートに乗って始まる曲の頭の歌詞が
「壊れたビートにのって/転がってゆくだけさ」
すでに降参です。
そしてなんといってもシュンちゃんのピアノ、特に間奏のソロ!
過去何回もつぶやいていますが、大事なことなのでまた言います。
エモいです。すごくエモいです。
え?エモいの意味?
私の「エモい」は、エモーショナルなんですが意味は《感情的+情緒的+官能的》ってことです。
この時のシュンちゃんを見てください。ゾクゾクします。いや、音だけでも。
これがまた、アナログで聴くと、すごいです。
アウトロのギターも、エモいです。
コーラスも、エモいです。
戻りますが、ベース&ドラムも、エモいです。
そして、ヴォーカルの元春は、あえて、エモくないです。ここで元春までエモく歌ってしまっては台無しです。
このバランスです。
ただひとつ。「シュッ!」という元春は、エモいです。
もうエモくてどうしようもなくて、アルバムを手にしてから初めてのリクエストにこの曲を選びました。そしてそれが、愛する野村雅夫の番組で採用されたのは、本当に嬉しい出来事でした。
【いつかの君】
このアルバムの中の「君」に伝えたいことが、この曲に凝縮されている。
「そのままの君が、確かな君。どんな過去があっても、どんなことが起きても、振り返ることはない、急ぐことはない、これからはもう大丈夫。」
“約束の橋”のような、全肯定の曲。
どうもありがとう、元春。
【誰かの神】
こういう類の曲を書くときは、元春は今までならもっと比喩的な言い回しをしていたと思うが、今回はわりと直接的。
特にこの曲と次の”キャビア~”は、ひねろうと思えばいくらでもひねれるだろうけど、一周して結果、こうなったという感じ。・・・感じ?
怪しい人についての曲は、雰囲気もサイケで怪し気。いや、妖しげ。
ギターが、特に。もう、極彩色。
「君のこと 知ってるよ」
これ、ワタシ的パンチライン。
前にも書いたけど、全体的に緊張が強いと思う中で、この曲がいちばんのほほんとしている印象だ。
サイケのせい?それともあつさのせい?(笑)
【キャビアとキャピタリズム】
前曲に続き、サイケな一曲。
そして、官能的。これはすごいわ。目が眩む。
タイトルを目にした時、既視感があった。でもそれは既視感ではなく、実際に目にしたものだった。
元春が公式FBで、故・吉本隆明氏に捧げた詩のタイトルだ。
言葉は辛辣だけど、どこかユーモラス。
攻撃的だけど、目は三角ではなく、飄々としている。
「言葉だけでは伝わらない。それにそぐうビートがなければ」
そんなようなことを、確か元春が最近、誰かとの対談かインタヴューで言っていなかったか。
この曲がまさに、それだと思う。
【空港待合室】
最初のドラムのカツ・カツ・…という音が、空港の中を歩いている足音のよう。
最初の4ラインは静かな雰囲気で始まるのに元春の歌い方(発音の仕方)が強い。
立ち止まって待合室を見回し、言葉が紡がれていく。
と思ったらアップビートな曲調に。
曲調が変わってからのほうが発音が緩くなってる?
風景をひとつずつ切り取った描写は”情けない週末”のようだ。
そして、この曲もサイケだ。
「笑うにはまだ早すぎる」?
あぁ、そうだね。いろんなことがあって、いろんな人に会って、景色が変わっても、忘れられない歌がある。
忘れてはいけない、歌がある。
【東京スカイライン】
この曲に辿り着くまでのすべての曲は、長さが4分半以上はない。最近の曲としては短いほうだと思う。
だが、このアルバムラストの曲は、5分19秒。
アラン・パーソンズ・プロジェクト”Time”を思い出すような、”コヨーテ、海へ”にもつながるような、長い大きな川の流れに身を任せてたゆたうような。
そしてまたしても、この曲も、サイケだ。B面はみんな、サイケだ。
さよならをする彼の手は、未だにポケットの中。最初はそう思った。
でも、繰り返し聴くうちに、彼がポケットから手を出し、その手をあげる姿が浮かんできた。
振ってはいない。高くあげてもいない。
肘を曲げ、中途半端な高さで、手のひらをこちらに向けているだけ。
そしてまた、その手はポケットの中に・・・。
アウトロがたまらん。演奏もその長さも。
全編を通して、絶望と希望が交錯する中にある「彼」と「君」。
二人が流れ着く場所は・・・Sea of Love?
P.S.
ふぉふぉえんで、われいごえ。
P.S.2
ジャケットに二人、女性がいる。いちばん遠くにいる女性はよく確認できないが、手前の彼女はブルーのストッキングを履いている。
色彩的にもとても目を引くのだが、このブルーのストッキングを見て、思い出したことがある。以前、銀座のカフェーパウリスタに立ち寄った際に目にした、ブルーストッキングについての記述だ。「青いストッキングを履いて来店すると、コーヒー一杯無料」。
明治44年に組織した平塚明子(雷鳥)を中心とする女流文学者集団『青鞜(ブルーストッキング)』。黒い絹の鞜下の代りに、ブルーのストッキングを履く事により、「女性の解放と自立」を主張。その集まりをカフェーパウリスタの二階にあった女性専用の喫茶室「レディス・ルーム」で開いていたのだそうで、それにちなんでのサービスということだった。https://www.paulista.co.jp/introduce/in_history.html
この『青鞜』の元を辿ると、その発祥の地は英国。
ネットで見つけた『イギリス・フェミニズムの胎動と「ブルーストッキング」の女性たち』という論文によれば、「総じていえば、ブルーストッキングの女性たちとは、18世紀の全般にわたって、知的関心を高く持し、男性作家に伍して文芸の世界に自己を開放しようとした女性たちを象徴する呼称」とある。
すでに公表されているように、アルバムのアートワークは英国のアーティストによるもの。
ジャケットの女性にブルーストッキングを履かせたのは、単に色彩の問題だけでなく、フェミニズムの胎動と関連があるのかもしれないな、なんてことを考えた。
“私の太陽”の出だしは、B面に返して、針を落として、という一呼吸の後に始まると全く違って聞こえる。
だけどここからの”いつかの君へ”~”誰かの神”の転がり具合はとても好き。もしかして、曲間が短くないか?感覚的にそう思った。
【私の太陽】
B面一曲目にふさわしいイントロ。初めて聴いた時「これはアカンやろ!」となぜか関西弁で叫んでしまった(笑)
圭くんのベースが冴え過ぎ。コマツのドラムも。
リズム隊の二人が刻む、体の芯に響くビートに乗って始まる曲の頭の歌詞が
「壊れたビートにのって/転がってゆくだけさ」
すでに降参です。
そしてなんといってもシュンちゃんのピアノ、特に間奏のソロ!
過去何回もつぶやいていますが、大事なことなのでまた言います。
エモいです。すごくエモいです。
え?エモいの意味?
私の「エモい」は、エモーショナルなんですが意味は《感情的+情緒的+官能的》ってことです。
この時のシュンちゃんを見てください。ゾクゾクします。いや、音だけでも。
これがまた、アナログで聴くと、すごいです。
アウトロのギターも、エモいです。
コーラスも、エモいです。
戻りますが、ベース&ドラムも、エモいです。
そして、ヴォーカルの元春は、あえて、エモくないです。ここで元春までエモく歌ってしまっては台無しです。
このバランスです。
ただひとつ。「シュッ!」という元春は、エモいです。
もうエモくてどうしようもなくて、アルバムを手にしてから初めてのリクエストにこの曲を選びました。そしてそれが、愛する野村雅夫の番組で採用されたのは、本当に嬉しい出来事でした。
【いつかの君】
このアルバムの中の「君」に伝えたいことが、この曲に凝縮されている。
「そのままの君が、確かな君。どんな過去があっても、どんなことが起きても、振り返ることはない、急ぐことはない、これからはもう大丈夫。」
“約束の橋”のような、全肯定の曲。
どうもありがとう、元春。
【誰かの神】
こういう類の曲を書くときは、元春は今までならもっと比喩的な言い回しをしていたと思うが、今回はわりと直接的。
特にこの曲と次の”キャビア~”は、ひねろうと思えばいくらでもひねれるだろうけど、一周して結果、こうなったという感じ。・・・感じ?
怪しい人についての曲は、雰囲気もサイケで怪し気。いや、妖しげ。
ギターが、特に。もう、極彩色。
「君のこと 知ってるよ」
これ、ワタシ的パンチライン。
前にも書いたけど、全体的に緊張が強いと思う中で、この曲がいちばんのほほんとしている印象だ。
サイケのせい?それともあつさのせい?(笑)
【キャビアとキャピタリズム】
前曲に続き、サイケな一曲。
そして、官能的。これはすごいわ。目が眩む。
タイトルを目にした時、既視感があった。でもそれは既視感ではなく、実際に目にしたものだった。
元春が公式FBで、故・吉本隆明氏に捧げた詩のタイトルだ。
言葉は辛辣だけど、どこかユーモラス。
攻撃的だけど、目は三角ではなく、飄々としている。
「言葉だけでは伝わらない。それにそぐうビートがなければ」
そんなようなことを、確か元春が最近、誰かとの対談かインタヴューで言っていなかったか。
この曲がまさに、それだと思う。
【空港待合室】
最初のドラムのカツ・カツ・…という音が、空港の中を歩いている足音のよう。
最初の4ラインは静かな雰囲気で始まるのに元春の歌い方(発音の仕方)が強い。
立ち止まって待合室を見回し、言葉が紡がれていく。
と思ったらアップビートな曲調に。
曲調が変わってからのほうが発音が緩くなってる?
風景をひとつずつ切り取った描写は”情けない週末”のようだ。
そして、この曲もサイケだ。
「笑うにはまだ早すぎる」?
あぁ、そうだね。いろんなことがあって、いろんな人に会って、景色が変わっても、忘れられない歌がある。
忘れてはいけない、歌がある。
【東京スカイライン】
この曲に辿り着くまでのすべての曲は、長さが4分半以上はない。最近の曲としては短いほうだと思う。
だが、このアルバムラストの曲は、5分19秒。
アラン・パーソンズ・プロジェクト”Time”を思い出すような、”コヨーテ、海へ”にもつながるような、長い大きな川の流れに身を任せてたゆたうような。
そしてまたしても、この曲も、サイケだ。B面はみんな、サイケだ。
さよならをする彼の手は、未だにポケットの中。最初はそう思った。
でも、繰り返し聴くうちに、彼がポケットから手を出し、その手をあげる姿が浮かんできた。
振ってはいない。高くあげてもいない。
肘を曲げ、中途半端な高さで、手のひらをこちらに向けているだけ。
そしてまた、その手はポケットの中に・・・。
アウトロがたまらん。演奏もその長さも。
全編を通して、絶望と希望が交錯する中にある「彼」と「君」。
二人が流れ着く場所は・・・Sea of Love?
P.S.
ふぉふぉえんで、われいごえ。
P.S.2
ジャケットに二人、女性がいる。いちばん遠くにいる女性はよく確認できないが、手前の彼女はブルーのストッキングを履いている。
色彩的にもとても目を引くのだが、このブルーのストッキングを見て、思い出したことがある。以前、銀座のカフェーパウリスタに立ち寄った際に目にした、ブルーストッキングについての記述だ。「青いストッキングを履いて来店すると、コーヒー一杯無料」。
明治44年に組織した平塚明子(雷鳥)を中心とする女流文学者集団『青鞜(ブルーストッキング)』。黒い絹の鞜下の代りに、ブルーのストッキングを履く事により、「女性の解放と自立」を主張。その集まりをカフェーパウリスタの二階にあった女性専用の喫茶室「レディス・ルーム」で開いていたのだそうで、それにちなんでのサービスということだった。https://www.paulista.co.jp/introduce/in_history.html
この『青鞜』の元を辿ると、その発祥の地は英国。
ネットで見つけた『イギリス・フェミニズムの胎動と「ブルーストッキング」の女性たち』という論文によれば、「総じていえば、ブルーストッキングの女性たちとは、18世紀の全般にわたって、知的関心を高く持し、男性作家に伍して文芸の世界に自己を開放しようとした女性たちを象徴する呼称」とある。
すでに公表されているように、アルバムのアートワークは英国のアーティストによるもの。
ジャケットの女性にブルーストッキングを履かせたのは、単に色彩の問題だけでなく、フェミニズムの胎動と関連があるのかもしれないな、なんてことを考えた。
by caorena
| 2015-07-30 02:30
| 音楽